今日の御言葉
ヨハネの福音書21章5‐12節
イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ。食べるものがありませんね。」彼らは答えた。「はい。ありません。」イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。
そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。しかし、ほかの弟子たちは、魚の満ちたその網を引いて、小船でやって来た。陸地から遠くなく、100メートル足らずの距離だったからである。
こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。イエスは彼らに言われた。「あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。」
シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは153匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった。イエスは彼らに言われた。「さあ来て、朝の食事をしなさい。」 弟子たちは主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか。」とあえて尋ねる者はいなかった。
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Friday, March 12, 2010
Friday, February 19, 2010
苦難の中にある人へのメッセージ
今週の日曜日14日は、淀橋教会にアルゼンチンの有名な伝道者の方が来られて説教してくださいました。アメリカのクリスタル・カテドラル教会の名誉牧師だそうですが、話はとてもわかりやすく、ユーモアがあるものでした。こちらで記事としても取り上げられています。
聖書箇所は、よく読まれる2コリントへの手紙12章9節でした。
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、私の力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(2コリント12:9)
説教の一番最初から、「今日は苦難の中にある人へのメッセージです」と話して説明してくださって、なかなかこういうのは珍しかったです。
聖書には祈ればかなうと書かれていますが、かなわないこともあり、病が癒されると書いてあり、実際癒される奇跡はありますが、癒されないケースもあると話していました。この先生はペンテコステ派の方のようですので、病の癒しなどはとても大切にしている方だと思いますが、その先生がそう話していました。
メッセージのタイトルは、「私のめぐみはあなたに十分である」でしたが、そうです。たとえ病が癒されなくても、また願った祈りが聞かれないとしても、イエス・キリストを信じた私たちには、それらと比べ物にならない、あるいはそれらを取るに足らないものとみなせるほどの、大きな恵みとして「永遠のいのち」が与えられているのです。それを見ましょう。それをもう一度思い出し、それに焦点を与えましょう。
こんな内容でした。
こうやって書くとあまりインパクトないような感じですが、説教ではしみじみ、「そうだなぁ」「そうだったよね」と思いました。
午前中は淀橋教会の礼拝に出られましたが、午後はヨハンの礼拝で御用されたようです。背が高い方でしたが、面白い方でした。淀橋教会はこのように結構、いろんな先生が来られてはメッセージしてくださるのでいいんですね。
しばらくブログを書いていませんでしたが、再開したいと思います。日記も毎日書きたいですが、多忙なので、無理せず書きたいと思っています。
肝心の先生のお名前を忘れていました。ファン・カルロス・オルティス先生です。写真は、オルティス先生が名誉牧師になっているクリスタル・カテドラル教会(上の写真が内部の様子、下の写真が概観)です。どこかで聞いたことがある名前ですが、相当有のようです。写真見るとすごいですよね。本当に「クリスタル」のようですね。
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聖書箇所は、よく読まれる2コリントへの手紙12章9節でした。
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、私の力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(2コリント12:9)
説教の一番最初から、「今日は苦難の中にある人へのメッセージです」と話して説明してくださって、なかなかこういうのは珍しかったです。
聖書には祈ればかなうと書かれていますが、かなわないこともあり、病が癒されると書いてあり、実際癒される奇跡はありますが、癒されないケースもあると話していました。この先生はペンテコステ派の方のようですので、病の癒しなどはとても大切にしている方だと思いますが、その先生がそう話していました。
メッセージのタイトルは、「私のめぐみはあなたに十分である」でしたが、そうです。たとえ病が癒されなくても、また願った祈りが聞かれないとしても、イエス・キリストを信じた私たちには、それらと比べ物にならない、あるいはそれらを取るに足らないものとみなせるほどの、大きな恵みとして「永遠のいのち」が与えられているのです。それを見ましょう。それをもう一度思い出し、それに焦点を与えましょう。
こんな内容でした。
こうやって書くとあまりインパクトないような感じですが、説教ではしみじみ、「そうだなぁ」「そうだったよね」と思いました。
午前中は淀橋教会の礼拝に出られましたが、午後はヨハンの礼拝で御用されたようです。背が高い方でしたが、面白い方でした。淀橋教会はこのように結構、いろんな先生が来られてはメッセージしてくださるのでいいんですね。
しばらくブログを書いていませんでしたが、再開したいと思います。日記も毎日書きたいですが、多忙なので、無理せず書きたいと思っています。
肝心の先生のお名前を忘れていました。ファン・カルロス・オルティス先生です。写真は、オルティス先生が名誉牧師になっているクリスタル・カテドラル教会(上の写真が内部の様子、下の写真が概観)です。どこかで聞いたことがある名前ですが、相当有のようです。写真見るとすごいですよね。本当に「クリスタル」のようですね。
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Tuesday, February 9, 2010
朝、夕ともに種を蒔け 2つともうまくいくかもわからない
今日の御言葉
伝道者の書11章1‐6
あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。あなたの受ける分を7人か8人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかあなたは知らないのだから。
雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ。木が南風や北風で倒されると、その木は倒れた場所にそのままにある。風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。
あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様、風の道がどのようなものなのかを知らない。そのように、あなたはいっさいを行われる神のみわざを知らない。
朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。2つとも同じようにうまくいくかもわからない。
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伝道者の書11章1‐6
あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。あなたの受ける分を7人か8人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかあなたは知らないのだから。
雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ。木が南風や北風で倒されると、その木は倒れた場所にそのままにある。風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。
あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様、風の道がどのようなものなのかを知らない。そのように、あなたはいっさいを行われる神のみわざを知らない。
朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。2つとも同じようにうまくいくかもわからない。
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Saturday, January 30, 2010
あ~よかった (花*花)
花*花 の「あ~よかった」(2000)です。
作詞・作曲:こじまいづみ
あなたと初めて出逢ってから / どれくらいの幸せをもらっただろうね / 大きいものや小さいもの / 気付かずにいたようなものもあっただろうね
言葉や言葉じゃないもの / 涙やケンカの後の朝日の色 / 2人の道は決して平らではなかったけれど
作詞・作曲:こじまいづみ
あなたと初めて出逢ってから / どれくらいの幸せをもらっただろうね / 大きいものや小さいもの / 気付かずにいたようなものもあっただろうね
言葉や言葉じゃないもの / 涙やケンカの後の朝日の色 / 2人の道は決して平らではなかったけれど
Tuesday, January 26, 2010
知恵を求めるとき、行き着くのは神
Friday, January 22, 2010
これに聞き従えば、賢人もなお説得力を加える
Wednesday, January 20, 2010
峯野龍弘(みねの・たつひろ)
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